どうも落ち着かないのがこの時期である・・・
震災の記憶もまだまだ生々しいのに風化を懸念することばかり
実際のところ、どのくらいやっているの と どのくらい頑張っているの?
とには、見ているだけの人と当事者には分かり合えない壁が存在している
酷い言い方になるが、道を同じように歩いていた人が何かにつまづき倒れた時、
ある人は傍観し、手を差し出し、持ち上げて抱き起こす人もいるだろう
倒れた人もまた、すぐに立ち上がり歩き出す人もいるし、呆然とそのままの人もいるだろう
そうして、助けられた手を頼りにまた歩き出そうとする人、
倒れていた方が楽だと歩くのをやめる人も(生活保護ってそんな感じがします)
今は、己がつまづかなかった事に安心している自分がいて、そう思うことを恥じる自分もいる
天災・災害とはそんなものであるし国の行政は、この様な時に救済が出来るのが良い政治だと思う
(しかし、全ての人が平等に恩恵が受けられるということは絶対にありえない
絶対に自ら立ち上がり歩こうとする意思を持ち続けなければならない)
記憶とは、その出来事の当事者が持つもので、震災のあの揺れを感じた全ての人が忘れえないことであろう
忘れることで幸せになれることもあると思う
対し風化とは、それ以後、つまりあの日以降に生まれた人たちが受け継ぐ記憶に他ならない
この時期、特に3月11日に生まれたものはかわいそうである
トリプルアタックと言うそうである
花粉症・黄砂・PM2.5
花粉はともかく、残りの2つが大陸から季節風に乗ってやってくる(ジェットストリーマアタックか!)
沖縄の尖閣・竹島の問題もからみこれも原因
ボートの係船場所を移動しろと連絡が来た・・・
年末から財団の連絡封筒が何回も来て回答するうちに決まった事であるが
そのことが慌しいことである
ほぼ1ヶ月で書類を出して移動しなさい とある
移動して落ち着くまでは前と同じ調子での釣行は難しい
そう思い今日は、移動場所の確認を兼ねて釣行・・・坊主
まあ移動に納得していない人も多いとうわさで
同じ係船場所のボートも移動になるはずなのにほとんど移動していない
いろいろと話も出来る人も出来てきたのに残念である
実は憂鬱なことばかりでもありません
冬の間は見ることも無かった2cmほどの小魚の塊がちらほらと確認出来るように
自然がゆっくりと確実に春に向かって歩んでいるのを確認出来ました
もう少ししたら水辺もにぎやかくなる事だろう