震災から、はや3年
それまでの価値観や、様々な技術の変化速さ・重要度が各々で大きく変わってしまったのと同時に
風化とか慣れといった問題もこれから起きてくるのでしょう
忘れるということが、気持ちを楽にさせることもあるし、
忘れるということで、いずれまた震災で大きな被害を受けることになるのだろう
そんなことを繰り返して日本人は、この土地に歴史を刻んで生きてきたのだ
宿命といえばそうであるし、残念だが運命といえばそうなるのかもしれない
先日のビートたけしの言葉が心に残る
それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。
人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。
数ならで心に身をばまかせねど身にしたがふは心なりけり
と紫式部が詠み
おもしろきこともなき世におもしろくすみなしものは心なりけり
と高杉晋作が本歌取りしたように日本人には、ある種共通のの死生観がある
こんな時だから、たけしが現代風に表現してくれた様な気がする
あれから3年
ビートたけしの言葉を借りれば、
(かけがいのない家族)「1人が死んだ事件が2万件あった」
私たちは生きている限りあの揺れを含めて忘れることは出来ない
だからこそ、彼らの分まで復興を後押ししなければならないと感じる