1944(昭和19)年12月7日午後1時に発生した東南海地震
1945(昭和20)年1月13日午前3時に内陸直下型の三河地震
太平洋戦争の末期に大きな地震があったのは、あまり知られていません
調べてみる切っ掛けは、「戦時中、浜松にも地震で津波が押し寄せた」
「東海道まで来たらしい」という話からです
かなり大きな地震(M8.0)で、震災で愛知県の軍需工場が大打撃を受けています
戦争中だったので、国内では報道管制で全く報道はされませんでした
海外では、大きな地震波が観測されていて気づかれていました
その辺は、ここを参考にして下さい
http://www.bousai.go.jp/jishin/chubou/kyoukun/rep/1944-tounankaiJISHIN/index.html
中身の津波の証言の件では、先日の大津波の動画を言葉で表現すればこうなります
まだまだ、生々しい記憶・記録です
仮設住宅とか、義捐金とか(東海地方が)今の(東北沿岸と)変わらない状況だったのです
それを思うと、被災地じゃあないから美味しいものを食べられると安心も出来ませんネ
気になる記述は、「稲むらの火」が人々を津波から身を守るのに役に立ったこと
当時の教科書に採用されていたのでとっさに人々が、高台に自主的に避難した
モデルは、ヤマサのご先祖さんになる実業家なのですが、話を書いた「小泉さん」
それを当時の教科書に採用した文部省?の担当者もナイス(一生の勲章です)
気になる記録は、ドミノ倒しで東海・南海・東南海地震が、セットで起こること(泣)
私たちは、次の地震に備えてどんな対策・教訓を残せるのでしょうか